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講演活動を積極的にお引き受けしています。少数派である電動車椅子に乗り、呼吸器をつけながら激しい電動車椅子サッカーというスポーツの監督をしながら様々な活動に取り組んでいる私の体験を聞いていただき、既成概念を取っ払い、視野を広げるきっかけにして頂けたら嬉しく思います。一人でも多くの方に!

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あの電波塔の先で......後編


最初に電クルサッカーに出会った時の衝撃は、競技としてよりも、とてつもない個性を持った人物との出会いの方がより大きかった。がたいの大きい奴が外車に乗って暴れまわってるという光景の方が鮮烈な印象として残っている。コート上ではキングだったが、普段はとにかく優しくて、人懐っこい子犬のような無邪気な笑顔を振りまいていた。


練習会場に向かう道中のあの電波塔で、忠犬ハチ公かというくらいニタニタしながら、オレのことを待っててくれて、一緒に歩きながら他愛もない話をして練習に行っていた。年は少し上で、電クルサッカーではオレが最初に憧れた選手でもあった。その当時の電クルサッカーは、アメフトやラグビーに近いクレイジーなサッカーだった。軽自動車のタイヤを半分に切ったものを足台の前につけて、直径50cmの巨大なボールを敵味方に分かれて、団子状態で押し合っていた。当然体重が軽い自分は重たい選手に吹っ飛ばされていたが、その衝撃はオレにとっては心地よかった。まさに格闘技の要素もあるモータースポーツという表現が一番しっくりくる。昔は車椅子がぶっ倒れてなんていう光景が日常茶飯事だった。


そこには常に奴がいたから、おまえがいない世界は違和感だらけだったけど、出会えてなかったら今のオレは存在していない。もしかしたら一生自分自身に自信が持てず、夢に向かって命がけで挑戦する精神も身につけることは出来なかったはずだ。おまえには人を魅了することの出来る大きなパワーが宿っていた気がする。カラオケで歌う時も全身全霊で叫んでいたし、何よりも食べることが大好きで最高の笑顔を浮かべて、がっついて飯をむしゃぼり食っていた。「今を生きる」ということを誰よりも実践しているやつだったから、魅力的だったのだと思う。今のオレを形成している何割かは奴の存在によって培われたものかもしれない。つまり今でもオレの中で確かに生きているんだ。その奴の名は、塚原直樹。

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