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太古の記憶

執筆者の写真: MotokiMotoki

どんなに記憶をさかのぼっても、3歳からの記憶しかない。


ある人は胎児の時の事を覚えていたり、ある人には産まれて来る前の記憶すら残っていると言う。おそらく赤子の記憶は思い出せないだけで、全ての人の脳のメモリーには保存されているはずだ。母親のお腹の中でたくさんの刺激を受けて、そこからすでに人生がスタートしている。体内には親から受け継がれたDNAがたしかに存在している。そこに環境による影響がプラスされ、人格が形成されて行く。


一般的には三つ子の魂百までという言葉があるように、幼少期の出来事が人の基礎となる心を作ると認識されている。


でも実際は本当にそうなのだろうか。


先祖の経験や想いが次の世代に引き継がれる。わずかでもそれが樹木の年輪のごとく脳に刻まれ、途方にくれるほどの長い時間を経て、今の自分を作っているように感じる。


例えば、若い頃、アメリカ留学の夢を実現するため、どんなに過酷な状況が訪れても、全く揺らぐことなくまっすぐに挑戦し続けた自分がいた。あの頃を思い返しても何故あんなにも強くいられたのか、よくわからない。


そこに一つの仮説を立てるならば、きっと自分の祖先の時代にも、いくつもの危機的状況を乗り越えて、生き抜いた歴史が存在したはずだ。それは生易しいものではなく、生きるか死ぬかの瀬戸際を幾度となく乗り越え、無我夢中で生き抜いた日々であったはず。


そこを乗り超えるためには、強靭な精神力と忍耐力が必要不可欠だった。彼らの積み重ねてきた経験と知識に裏打ちされた、タフな想いが脈々と自分にも受け継がれていて、いわゆる火事場の馬鹿力を発揮させる。


昔と今では大きく様々な事情が異なっているが、現代社会においても追い込まれている時に発揮される底力を論理的に説明するのは難しい。私には、人類が生き延びるために培った歴史的影響が、今も色濃く残っている証のように感じる。


だからこそ時に目では見えない大きな力を感じる時がある。私に受け継がれた魂は、祖先の祈りや願いが集合体の塊として、人の心に受け継がれた結晶みたいなもの。


その結晶は赤ん坊にも間違いなく大きな影響を与えていて、ある意味、人類の現在進行形のエネルギーを小さいその命から感じているのではないか。


どんどん話が大きく膨れ上がってしまったが、壮大な宇宙となんら変わらない生命の神秘が人体にもあるように思ってしまう。記憶があるないに関わらず、脈々と受け継がれた魂がある限り、三つ子なんて小さい次元ではなく、太古の記憶が平等に我々には存在している。


少なくともそう考えた方が、遥かに生きていることが面白いと私は単純に思ったわけで…



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