50年、言い換えれば半世紀。母が生まれて69年。
今年39歳のオレにはどちらも想像できないほど長い年月。
メキシコの地で男子サッカー日本代表が銅メダルを獲得してから、50年もの時間が経った。プロリーグなんて夢のまた夢という時代に成し遂げられた快挙。それ以降は4位が最高順位であることからも、その凄さは次元を超えている。
幸運にもメキシコオリンピック50周年記念パーティーにおいて、釜本氏や杉山氏をはじめとする レジェンドの戦士たちに会うことができた。彼らは年老いてこそいるが、それを感じさせないほど圧倒されるような熱を身にまとっていた。若かりし頃の彼らの表情が、見え隠れする不思議な感覚を覚えた。
選手が死力を尽くしたのは言うまでもないが、「日本サッカーの父」と称されるドイツ人のデットマール・クラマー氏の存在なくして歴史的快挙は実現しなかった。東京オリンピックサッカー日本代表の強化のために初めての外国人コーチとして招聘された、日本サッカーを語る上で欠くことの出来ない伝説の人物だ。
サッカーの基礎的な技術を徹底的に日本代表に教え込んでいった。日本サッカーの未来のためにいくつもの提言をされていて、日本サッカーリーグの発足など、彼の意志を受け継いだ長沼メキシコオリンピック日本代表サッカー監督らにより実行され、日本サッカーの基盤を作り上げた。
これらの事を踏まえて、銅メダルという結果は奇跡ではなく、様々な人の献身的なサポートのもと、日本代表に関わる全ての人の想いが選手に託され、実力で勝ち取った栄光なわけだ。
パーティーには現男子日本フル代表・オリンピック代表監督の森保氏も参列されていて、長い歴史の中でバトンが受け渡されていく姿を目の当たりにした。森保監督も自身の言葉で、歴史を忘れずリスペクトすることの大切さと、2回目の東京オリンピックに向けて今度は自分たちは金メダルを目指して戦うと高らかに宣言されました。
もし今回の50周年記念パーティーに参加していなかったら、そこまで深く日本サッカーの歴史に興味を持っていなかったので、本当にかけがえのないオンリーワンのイベントだった。
オレが今、電動車椅子サッカー界に20年以上関わりを持てている事、そして監督を務めさせていただいている事は、数え切れないほどたくさんの人の尽力があってのことだ。恵まれた環境で活動できている事への有り難さを、改めて今回の経験により、身に染みて痛感している。
オレの母が生まれて69年。その歴史の積み重ねの末に、今のオレがいる。これこそが奇跡である。
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