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生きて生きて生き切る

  • 執筆者の写真: Motoki
    Motoki
  • 2022年8月12日
  • 読了時間: 3分

難病を抱えて生きる人生

深く考えたことはないが、それが宿命だった


幼少期から他の子供より動きが鈍かった 

歩くことは自力でできたが、みんなの様に機敏に動けず、歩き方も独特だった


内股になってしまうため、いきなり転ぶことも日常茶飯事だった

今でも鮮明に覚えているのが、運動会の50メートル走で同級生から大きく引き離されて、頑張れとみんなから声援を受けた光景

自分にとっては屈辱でしかなかった


それでも小学校5年生ぐらいまでは、自転車にも乗っていたし、何より自分の意志で行きたい所に行くことができた


身体に自信がないから、積極的に行動することは苦手だった

だけど生まれつき絶対に負けないという反骨心はあった


マウントをとってくる相手に対して、いつか見返してやるという姿勢を忘れたことはない

でも残酷にもゆっくりと確実に全身の筋力が衰えていくことを、感じずにはいられない重たい身体


春休み中に家にこもっていたことが致命傷となった

中学校の入学式で気力で数メートル歩いたのを最後に完全に歩けなくなり、自分を見失った

削ぎ落とされた煩悩

残されたものは、耐え難い状況を我慢する忍耐力のみ


車椅子に乗った瞬間に、自分が障害者であることを強く意識してしまうため、それを受け入れるのに1年以上の時間を費やした


小学校時代の友人たちとの心の距離が遠のき、そこから高校時代まで自分の殻に閉じこもっていった


他人の助けなしでは自力でどこにも行くことができない、非常に過酷な状況があった


転機が訪れたのは電動車椅子を使い始めた17歳

電動車椅子サッカーに出会って新たな人生のスタートラインに立った

自分の意志で動ける感覚を思い出し、自分らしさを取り戻していく


初めてアメリカの大地を踏み締めて、自由な風に吹かれて深呼吸

自分が生きていることを全身で実感する


解放された心は自由に羽ばたき、失われた時間を一気に取り戻す

どんなことにも貪欲に食らいつき、生きる意味を手繰り寄せていく


アメリカは障害があるからといって自己主張しないなんて考えられない風土 今で言う多様性を重んじる社会は日本よりかなり前から浸透しており、

強く前向きに人生を楽しむことを教えられた。


選手から監督になり見える世界が変わっていく

チームという生命体のような存在の前にひるむ瞬間もあった

与えられた役割を全うする決意を固める


継続することにより、感性が磨かれ視野が広がっていく感覚


廃人のようにただ息をしていた自分が、ハングリーに今日も生きている

人間の可能性に限界はない

限界があるとしたら未来を想像する力を失ったとき


積み上げてきた経験がメンタルを鍛え上げ、生命力に満ち溢れていく

たった一度の人生を自分らしく生き切りたい


だからこそ培ったものを自分の言葉で

この混沌とした時代を生きる君に伝えたい


人間は弱いからこそ強い

そのことを身をもって感じてきた自分にしか伝えられない言葉たち

そう、この瞬間もオレの魂が叫びたがっている

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講演活動を積極的にお引き受けしています。少数派である電動車椅子に乗り、呼吸器をつけながら激しい電動車椅子サッカーというスポーツの監督をしながら様々な活動に取り組んでいる私の体験を聞いていただき、既成概念を取っ払い、視野を広げるきっかけにして頂けたら嬉しく思います。一人でも多くの方に!

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